おチョコ酒粕タルト|白龍蔵元 吉田酒造酒粕使用【酒粕ノ國】

おチョコ酒粕タルト|白龍蔵元 吉田酒造酒粕使用【酒粕ノ國】

通常価格 ¥450
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たっぷりのホワイトチョコレートと酒粕がまさかのタルトになりました。

酒蔵イベントでは僅か1時間で完売したタルトです。

 


白龍 吉田酒造について

吉田酒造は、今から二百十余年前の文化3年(1806年)上志比の庄で酒造りを始めました。 永平寺テロワールで生産量を追わず、風土から来るおいしさを極めるために、手造りによる丁寧な酒造りを行っています。麹は全量手造り、米洗いも限定吸水、仕込みごとの個性を大切に、米と水の力を最大限にいかす郷酒は、「明日への力水」で「濃醇できれいなお酒」を目指します。

そして、真摯に米作り、酒造りの進化に尽力します。

三国の町に今もなお息づく伝統

幼い頃に母に連れられて結婚をされた夫婦の新居から撒かれる饅頭を拾いに行った記憶があります。当時は「一体なんだろう?」と思っていました。今思えば感謝の気持ち、幸せのお裾分け、大切な地域の皆様へのお礼など、色んな思いがあったのだろうと思います。結婚式、出産、新築などのお祝いごとの度に配られ、撒かれた酒饅頭。現在もその伝統を大事にされている方も多くいらっしゃいます。 酒粕ノの國の酒饅頭がお茶のお供だけではなく、お祝い事でもご利用いただけたら嬉しく思います。

令和4年創業 酒粕ノ國

北前船の寄港地として繁栄を極めた湊町三國

古代、周辺の豪族とともに栄えた三国の地は、三国港とともにその歴史を刻んでゆきました。 三国港は中世は大寺の荘園の一部として、また南北朝時代には朝倉氏、柴田氏など歴代国主の支配と保護を受け、港町としての機能を整えていきました。江戸時代に入ると都市化が進み人口が増加、現在の市街地の概観がこの時代にはできあがったと考えられています。江戸中期、北陸の船乗りたちが大阪と北海道間を物資輸送しこれを売買して差益を得る「北前船交易」をはじめると、三国でもやがて廻船経営に力を入れ始めました。 後期には三国は日本海側有数の北前船の中継基地に発展、森田家・内田家といった豪商がうまれました。商業の発展は、町人文化・工芸技術をも開花させ、港は大いに賑わいました。

幕末期から明治初期の港の最盛期には、オランダ人技師による龍翔小学校の建設、日本発の西洋式工法の三国突堤の建設など大事業が行われました。 しかし、やがて鉄道が通り始めると港湾機能が低下し三国港は商港から漁港へと転換してゆきました。三国は1700余年の歴史に映える港町。 ふと見渡し、大通りを一本入ると、当時の面影をそのまま残すノスタルジックな町屋風景や、いぶし銀のようなオーラを放つ貴重な建造物や豪商の屋敷跡・老舗名店が、町中にはわんさか残っていました。

しかし、「灯台元暗し」とは良く言ったもので、最近になってようやくその価値が見直され、官民一体となって整備保全を推進。 見違えるように洗練された旧市街地は、今や三国町になくてはならない観光の新スポットに成長しました。

(出典:坂井市観光ガイドweb旅ナビ)